COLUMN

コラム

京都のサロン文化から感じる可能性

 KRPのサロンで行われた了了会でお話しした当時は、これまで取り組んできた経験を踏まえ、余り深く考えないまま「文化✕情報✕地域づくり~美の創造から始まるまちづくり」をテーマに掲げてお話しさせていただきました。その後、「情報」分野で大きな変化が訪れました。人間の知的能力を凌駕するとも言われるAI技術の発達や、その応用で社会が大きく変化し、手放しで喜ぶには、なんとも言えない不安を皆さんが実感されています。

そうしたときにマクセルさんから本社用地の一部を、京都文化を生かし産業発展につながる活動のため、10年間無償でお貸ししたいとの申し出を受け、活用方法につい思い悩む日々が続きました。

 ある日ふと、「 京大おもろトーク:アートな京大を目指して」と題した連続講座で、ニューヨーク在住のモダンアート作家として著名な蔡國強氏から、「芸術家に最も必要な能力は、時代を読み解く力」とのお話が頭に浮かびました。

共感や感動など人間しか持たない「アートの力」を基盤に、未来社会を牽引するスタートアップなどが活躍するオープンイノベーションの場に活用したいとの思いが強まりました。そこで、造形大(当時)の大野木・椿先生や京大の山口先生などに相談したところ、快く力を貸して頂き、「アート&テクノロジー」をキーワードとするビレッジ構想が生まれ、昨年10月にオープンしました。まだまだ始まったばかりですが、お話しした際は夢にも思ってもいなかったものが、確かに「今の仕事に繋がっているなあ・・・」と実感しています。

今回のコラムのご依頼を受けて思い起こすと30代でKRP建設を担当をさせていただいたことが、その後の仕事の源流になっていること痛感していています。

 1996年に、ボランティアのご協力を得て世界初のバーチャル国際博覧会である「インターネット・エキスポ」をKRPを拠点に開催し、情報社会について深く考える機会を得たことがユビキタス社会を議論するための「ケータイ国際フォーラム」の開催に、そして現在、府内各地で取り組みを進めている、健康寿命を大切にする社会や交通弱者を生まないためのMaaSの活用などスマート社会のづくりとなっています。

また、亡くなられた元京大総長の奥田東先生が、KRPで農業の国際学会を開催されることになり、少しお手伝いをさせていただきました。アフリカからの参加もあり、会場の掲げる各国の国旗を作るのに苦労したのも今となっては楽しい思い出です。また、関西学術文化研究都市生みの親である奥田先生から直接、学研都市への思いを伺うことが出来ました。

オイルショックを経てローマクラブから「成長の限界」と題した報告が示されたのを踏まえて、世界的課題をサイエンスの力で解決したいと考えられた奥田先生は勉強会を作られ、梅棹先生の助言で「日本の文化力」を生かすことも理念にされて、学研都市の構想を策定された経過を学ぶことが出来ました。

既存の用地が完売し、南田辺部・狛田地区のクラスターを開発する際、人口が増加する中で世界的課題となっている「食」の問題を解決するための研究開発拠点を作りたいとの思いを地元の行政機関にも伝え、皆さんの了解を得て「フードテック・ヒル」開発取り組み始めることが出来ました。

更に、立命館・任天堂・KRPさんの協力でゲーム研究も始め、プロジェクト名を「GAP:ゲームアーカイブプロジェクトの略」と名付けていました。他府県から「ファッションの研究を始めたそうだが内容は?」との問い合わせを頂戴するなど、行政とゲームの間に親和性がない時代のことです。その成果は、立命館大学ゲーム研究センターに受け継がれると共に、映像学部の創設に繋がります。学部創立の際に、産学が連携して人材育成を行う場を太秦地区に設置して欲しいとのお願いをし、山田洋次監督のご支援で松竹京都撮影所の中に設立して頂きました。その後、XRの技術開発と人材育成の拠点が東映京都撮影所の中に設置され、太秦メディアパークづくりが進んでいます。

その他にも、2001年にKRPで開催した日中ベンチャーフォーラムにジャックマーが参加され、その際親交を結んだ企業家の橋渡しで、府のアリババとの共同事業も実行できました。了了会も幕を閉じることになりますが、ここで議論されたことが、京都や内外で実践されることを期待しています。