COLUMN

コラム

飽食と飢餓が共存する世界で

1980年代の終わり、京都リサーチパーク(KRP)の開発に携わり、京都大元総長の奥田東先生にお目にかかった。未来の農業を考える国際会議をKRPで開催されるのを手伝うことになったためで、さまざまなお話を聞き、関西文化学術研究都市(けいはんな)創成にかかる熱い思いも伺うことができた。

1970年代、二度にわたるオイルショックが世界を襲い、ローマ・クラブが「成長の限界」と題したレポートを発表したのに衝撃を受け、奥田先生は、京都の持つ智の力を生かしてこの課題解決に貢献すべきと考え、サイエンスパークの創設を構想された。

粘り強い活動の結果、東の「つくば研究学園都市」とともに国家的プロジェクトに位置付けられることになった。京都、大阪、奈良の3府県にまたがる緑豊かな丘陵地に、12の文化学術研究地区(クラスター、約3600㌶)を分散配置する構想だった。つくばが国の研究機関中心となったのに対し「けいはんな」は民間主体で整備が進められていった。

奥田先生の思いを伺った時は想像もしていなかったが、私も京都府職員として関西文化学術研究都市に関わることになる。担当した当時の「けいはんな」は、民間の研究所の撤退が続いていた。子どもたちの人生設計に資するための「私のしごと館」が、東京のマスコミを中心に無駄な施設と批判され、閉館されるのが決まるような、まさに冬の時代。府域でも研究所誘致等のために開発、整備した用地50㌶にぺんぺん草が生えるような状況だった。

奥田先生の大きな構想が記念碑の文章に残っている。

「西欧文明の成果と自らの東洋文化を統合することでめざましい社会経済の発展を遂げた日本は、科学立国と文化立国を国是として新しい地球文明創出のために積極的な役割をになおうとしている。この目的を果たすために関西文化学術研究都市は誕生した」

この思いを胸に、「けいはんな」の事業に取り組むことになった。

私のしごと館は、国から無償譲渡を受けた。設計思想が米国のオープン・イノベーション施設だったことを踏まえ、スタートアップ等を支援する施設「KICK」として再整備することができた。

空いていた用地は日本を代表する企業や京都の有力企業、そしてニッチグローバルな中小企業が立地していただいたおかげで全てなくなり、最後は商業地域を業務地域に転換して確保する状況となった。事業が順調に進んだのは、サポートいただいた方や時代の恵みがあったからだが、「社会的意義のある大きな夢はみんなを動かす」ことを実感する経験でもあった。

そして既存用地がなくなり、新たなクラスター開発(南田辺・狛田地区)に取り組む際には、テーマ性を持たせたいと考えた。大阪・関西万博のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」を踏まえ、飢餓と飽食が共存する世界にあって、「食」に関する課題を技術と文化で解決しようと「フードテック」をテーマに掲げている。

来年は「けいはんな万博」が開催される。この機を捉え、新たな夢の実現に向けての大きな一歩を踏み出せたらと夢を膨らませている。

京都新聞 ON BUSINESS 2024年12月9日 掲載